新あわ学研究部門の研究紹介
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藍染から学ぶ『顔の見えるものづくり』
2023年11月30日研究紹介
「藍の家」での経験が拓いた自分の道
有内先生のご専門は、徳島の伝統文化である「藍」と「藍染」を中心とした研究だとお聞きしました。この研究分野に関心を持ったきっかけを教えてください。
もともとものづくりは好きでしたが、最初から藍に興味があったわけではありませんでした。高校で進路選択をしたときに、自分の好きな服職に関する知識と技術が学べるところということで、四国大学に進学したことがきっかけです。将来は家庭科の先生になりたいと思っていたんですよ。
藍との出会いは授業で取り組んだことがはじまりです。深く関わるようになったのは染色化学が専門の野田良子先生(現:四国大学名誉教授)の研究室に入ってから。当時は同じ研究室の同級生が藍の研究をしていたので、私は野田先生のもとでインドの染色について標本を分類したり、和紙の紙漉きなどにチャレンジしていましたね。
結局、卒業論文も和紙に関する研究になって。でも、分野が違っても、藍と同じように昔から受け継がれた伝統技術に触れ、どう受け継いでいくかを考える機会になりました。藍については、直接自分の研究には関係なくても、研究室にいれば自然と触れ合う機会は多くなっていきます。いろいろとお手伝いするわけですから。スタートはそこからですね。
最初から藍や藍染の研究をされていたわけではないんですね。
そうなんですよ。本格的に藍と藍染に携わるようになったのは、卒業して1996年に野田先生の助手になってからです。1998年に明石海峡大橋ができてからは、県外からも今まで以上にさまざまな人が藍を求めて「藍の家」を訪れるようになっていました。インドのアーメダバード国立デザイン研究所の研究者を受け入れるなど、海外からも多くの方がいらっしゃいましたね。
このあたりの約10年間にわたる野田先生との経験がなければ、藍染を自分の道にしようとは考えなかったかもしれません。藍のおかげでエルサルバドルとのつながりが生まれたり、自分の視野が大きく広がったんです。四国の徳島にある地方の大学がこれだけ外から注目される。それはやっぱり「藍の家」という場があったからこそだと思います。2022年には、竣工30周年記念事業として、ここに収蔵された藍染の図録である『藍の家』が完成しました。絞り染めをはじめ、筒描や型染、刺し子や裂織など、100点以上が収録されており『第47回とくしま出版文化賞』を受賞しています。
「思いどおりにならないこと」こそ面白い
海外での藍染指導も行われていますが、そこで変わった考え方や価値観は?
2001年の3月と翌年の11月の計2回、野田先生たちとJETRO(日本貿易産業機構)の産業交流計画専門家派遣事業でエルサルバドルへ行きました。2002年の3月には研究員の受け入れも実施しています。エルサルバドルは古くから藍染料の生産の盛んな地だったのですが、合成藍の開発・隆盛や長い内戦によって廃れてしまったため、地元の産業として復興させていこうとする取り組みです。
2017年にはJICA(国際協力機構)の依頼で、中央アジアのキルギスへ定期的に『ONE VILLAGE ONE PRODUCT(OVOP)Kyrgyzstan』の指導員として訪れるようになりました。基本的に遊牧民の国ですが、ここにも藍の仲間が自生しているんですね。そこで地域の産業として羊毛のフェルト製品を藍で染め、付加価値をつけられたら、新たな女性の仕事が生まれるはず。無印良品にも協力いただき、現在もプロジェクトが進んでいます。
海外での経験はとても勉強になりました。日本の常識を持ち込んでも、土地や文化が違えば、それは非常識になる。現地の考え方や手に入るもので何とかしなければいけない。そういう思いどおりにならないところは、藍や藍染にも通じるものがあると思います。
「思いどおりにならない」という部分が藍や藍染にも共通するのですか?
既製品はまったく同じものが工場で大量に生産できますよね。でも、藍は自然のものなので、ほとんど思いどおりになりません。まず原料の藍そのものが植物ですから、その年ごとに成長の度合いが違います。昔ながらの微生物の力を利用した「醗酵建て」と呼ばれる方法で染液をつくるのですが、これも安定させるのが難しい。
さらに染色はもっと奥が深いんです。糸の素材や太さ、生地の織り方が違ったり、染液に浸ける時間が変われば、絶対に同じものはできません。絞り染めの場合、絞る位置や力の入れ加減で、予想外の柄が生まれることもあります。
"自然との対話"である藍染は、AIにはできません。人間の持つ創造性が必要不可欠なんです。自分の知識と経験、五感をフルに使って答えを探していく。ものづくりを通じた自分自身と向き合う時間が、一人ひとりの人間的な成長につながるのではないでしょうか。
ものづくりのプロセスを見つめる重要性
今、藍や藍染が直面している問題は、どのようなことでしょうか。
原料の藍が入手しづらくなっているだけではなく、良質な手紡ぎの糸や手織りの布、藍染に必要な道具まで、どんどん姿を消していっています。昔ながらの藍染を残していこうと思ったら、藍だけを注視していては駄目なんですよ。その周辺まで見渡さなければいけない。
かろうじて残っている伝統産業はどこも同じだと思いますが、地域で循環していた輪が途切れかけているんです。かつては原料を生産する人や加工する人がいて、その道具をつくったり修繕する人がいたのに、今は仕事として成立しなくなってしまった。昔は当たり前だったものが、気がつかないうちに少しずつなくなっていっているんです。
完成品の素晴らしさだけではなく、ものづくりのプロセスをしっかり見つめる重要性も伝えていかなければいけません。
教壇に立つ者として、また徳島の藍染に携わる者の一人として、そこは忘れてはいけないと考えています。
最後に、読者の方々へメッセージをお願いします。
藍染は暮らしのなかで使われてきた布。使えば使うほど風合いが増し、歳月とともに美しくなっていきます。色あせたら染め直して繕ったり、着古したものは解いて手ぬぐいにしたり、とにかく最後まで大切にしながら使い切るものでした。
今は大量生産・大量消費で使い捨ての時代ですよね。失敗したらすぐにあきらめてしまう風潮は、そこから始まっているような気もします。でも、最初から上手くできる人はいません。ものづくりはずっと努力の繰り返しです。SDGsという言葉が生まれるずっと前から日本にはそういう文化がありました。誰かのために手間暇をかける"顔の見えるものづくり"の美しさを知ってほしいですね。
昔から伝承されてきた手仕事の尊さや技術の高さ。それが当たり前ではなく、誰かの努力の結晶だとわかれば、きっとこれからの生き方も変わっていくと思います。